はじめに
10年ぶりにブログを再開し、ブログを始めた理由をチラホラと聞かれるようになりました。ページビューこそ全く付いてきて無いですが、話題のネタになる程には生活の足しになっている点と、元々文章を書くのが好きなので趣味としてライフスタイルの向上に寄与しています。
ブログを再開した切っ掛けを事細かく話すには、インターネットとの出会った25年前までさかのぼる必要がある為、記事に纏めてみようと思いました。
パソコンとの出会い
パソコンとの出会いは30年ほど前、小学校にパソコンルームが新設されました。一応授業もあったのですが、パソコンの電源を切る時はキーボードのSTOPボタンを押してから電源OFFしないと駄目という事以外何も覚えてません。
小学校時代にあと2点、パソコン絡みの記憶があります。ひとつは文京区がやってた科学教室?だったかの小学生向け無料講座で人生初のプログラミングをした記憶です。画面に太い蛇みたいな迷路を書き、その道をはみ出ない様にカーソルキーでオブジェクトを移動させるゲームみたいなものだったと薄っすら記憶してます。もう一つは、文京区役所(シビックセンター)にあった自由に使えるパソコンでゲームしていた記憶です。だれでも利用できる何らかの相談窓口みたいな部屋があり、そのテーブルの一角に自由に使えるノートパソコンが置いてありました。そのパソコンの中に、2人でプレイできるポトリスみたいなゲームが入ってました。

上記はポトリスのスクショですが、こんなグラフィカルなゲームではなく、左右に固定砲台があり、角度とパワーだけを決めて先に相手の固定砲台に命中させたら勝ちという単純なゲームでした。まだファミコン全盛期で、スーファミが出たか出るまえだかの時期ですので、そんな質素なゲームであっても友達とドハマりしていて、学校が終わったら頻繁にシビックセンターに遊びに行ってました。ちなみにポトリスは思い出深いゲームの完全上位互換ということでドハまりし、廃人のごとく夜通しプレイしてました。
パソコンに憧れた切っ掛け
子供の頃、よく祖母の家に遊びに行ってました。敷地内には祖母宅と親族の家があり、2歳上と同い年の従兄弟が住んでました。私の良心はパソコンやテレビゲームに疎く、ゲームはご法度でしたが、従兄弟の両親はゲームに好意的で、従兄弟が居なくても勝手にゲームをしてました。自分が仲良かったのはやはり同年齢の従兄弟の方で、年上の方は少し苦手でした。
とある時期から、年上の方の従兄弟がパソコン(多分親の仕事用)を扱い始めてました。他の従兄弟たちと何やらプリントしたりして遊んでたようで、何をしているのか何が出来るのか気になってましたが、子供時代は互いにあまり仲良い感じではなかったので悶々としていた記憶があります。
パソコンを手に入れる計画
「”パソコンがしたい” 」文脈がおかしいように見えますが、中学生当時は漠然とこんな気持ちでした。何が出来るかよくわからないけれど(ゲーム出来るのは知ってるけど)、兎に角パソコンをやりたくなってました。
ゲームすら御法度の両親、当時パソコンを知らない人はゲーム機の延長線上みたいなイメージでしたし、そもそも恐ろしく高価なので、気軽に買ってもらえるわけがありませんでした。ただ、テレビゲーム機よりは上手い事言いくるめれる可能性があるのではとも思ってました。
まずパソコンで何が出来るかを調べる事にしました。今でこそインターネットでなんでも調べれますが、インターネットどころかパソコンすらないので、当時は図書館や雑誌で調べるしかありませんでした。すると、すぐやりたい事が見つかりました。
『インターネットターネットに繋いでホームページを作ってみたい』
ゲームとは違いホームページなら両親を納得させれそうだと思い、パソコンを手に入れる計画が始動しました。パソコンに理解ある親族や親の友人と居る際に、頻繁にパソコンについて熱弁し、高校に入ったら買いたいという事と、購入費は親が管理してるお年玉定期預金でと、両親の友人や親族を味方につけ外堀から埋めていきました。
遂にパソコンを手に入れた
中学時代のロビー活動の末、高校入学時にパソコンを手に入れることが出来ました!
購入したパソコンはSONY VAIO PCG-XR1です。思入れがありすぎるので、今でもすぐ型番を言えますし、使わなくなっても捨てないで取って置いてあります。







ディスプレイを開くと自動で背面端子カバーがオープンし、キーボードに傾斜が付くギミックに惚れました。当時電化製品で随一の人気を誇っていたSONYというブランド、更にはVAIOというブランドの付加価値で、スペックと比べて割高でした。そもそも今と比べて当時はデスクトップとノートPCの価格差が恐ろしくあったので、スペック的に今では考えられないお値段となっております……。
40万円弱……。
しかもこの時期はパソコン性能の進化がすさまじく、半年もすると新型が出て、1年もするとスペックがかなり変わってくる時代でした。ブランドを拘らずデスクトップであればもっと良い性能のパソコンを恐らく半額程度で買えたかもしれません。それほどノートPCとデスクトップの値段の差がありました。
ノートPCを買って正解でした
パソコンを購入してからインターネットに接続できるようになるまでは、少し期間が掛かりました。当時はISDNやテレホーダイのダイヤルアップ接続64kが主流でしたが、東京ケーブルネットワークが128kのケーブルテレビインターネットサービスをやっていました。ISDNの2倍の速度で昼夜問わず接続し放題ということで、そちらを契約しました。
ケーブルテレビの工事が完了するまでインターネットに接続できなかったわけですが、パソコンを購入した一番の目的がインターネットでホームページを作る事でしたので、宝の持ち腐れ状態に陥ってました。パソコンにはゲームもソリティアとマインスイーパーくらいしか入ってませんでしたし、他にできることが何もありません。
数日後、40万円のソリティア専用機がいっぱしのゲーム機と変化する事になります。自分は小学生の頃から2歳上の地元民グループと遊ぶことが多く、その中の二人がパソコンを持っていたので、意気揚々とノートPCを持って遊びに行きました。まだ何もやれる事が無いということで地元民二人が集めたゲームのデータなどをパソコンに入れてもらいました。BM98というビートマニアのパソコン版と、詳しくは書きませんが、エミュレーターです。この日以降、パソコンオタクグループみたいな感じで3人で遊ぶことや、自分がどちらか暇な方の地元民の家にパソコン持参で遊びに行く事が飛躍的に増えました。そして旅行行くにせよどんな時も、ノートパソコンとゲームコントローラーを持参する日々が始まりました。40万円という一見不相応に思えるノートパソコンでしたが、デスクトップを買っていたとしたら得れなかった知識や掛け替えのない時間・思い出の損失は計り知れません。
インターネットデビュー
ノートPCを手に入れて1ヶ月も経たずインターネットが開通しました。開通して早速HTMLでホームページを作り始めました。アングラ的なニッチなサイトでした。成果報酬系の広告を貼っていたので月1万円ほどの広告収入を得てました。高校1年の序盤はクラスに自分含めて二人しかパソコンを持ってませんでした。そもそも携帯(PHS)すらクラスの半分くらいしかもっていなかった時代です。テニス部に入ると同学年の仲良くなった友人がパソコンを持っていると判明し、高校内でのパソコン友達第一号になりました。(クラスメイトの方は性格難で嫌われてました)
初めてのMMORPG
テニス部の友人がハマってるというウルティマオンラインがどういうゲームなのか気になったので、友人の家に遊びに行きました。パソコンは持参してなかったと思います。パソコンは高価ですので、高校には一度も持って行かなかったです。持っていく必要もないですし。
(嫌われていたクラスメイトは休み時間にパソコンを広げてドヤってました)そういうとこだぞ?
ゲームの件をやパソコン話を色々し、興味があったので帰りがけ、友人宅の近くにあったセブンイレブンでウルティマオンラインのソフトを購入しました。初めてパソコンソフトを購入する事になったので不安でセブンイレブンの店員に所持しているパソコンやインターネットの事とかを聞き、これ買えばプレイできるのかなどを確認してました。今思えばあの時代によくネットゲームの話が出来るコンビニ店員が居たなという感じですね。Windows用、Mac用、ハイブリッドなど、パソコンソフトが分かれてる事すらもあやふやでした。
帰宅して早速プレイしようとしたのですが、プレイできませんでした。友人に電話しても購入したセブンイレブンの店員に電話でやり方を聞いてみても解決しませんでした。最終的にはセブンイレブンのご厚意で返品してくれるという話になりました。そもそも2000円だか3000円程度のソフトだったと思いますし、家から20km程離れている電車定期範囲外の店舗だったので迷いましたが翌日返金して貰いに向かいました。
その後、どうしてもウルティマオンラインをプレイしたかったので、地元民や秋葉原などで事の経緯を話して情報を集めてましたが、すぐに結論は出ず、ウルティマオンラインをプレイすることはありませんでした。
ウルティマオンラインの後日談
当時のウルティマオンラインは、おそらくゲームを起動しログインする際にダイヤルアップ接続のダイアログボックスが出てきてたと思います。常時接続のケーブルテレビ回線だと、ゲームのログイン画面でダイヤルアップ接続画面から先に進めずプレイできない状況に陥っていた。つまり、ケーブルテレビインターネット自体がまだまだニッチなサービスであったための弊害だったというオチです。高校の友人も、地元民も、セブンイレブン店員も、秋葉原店員も、ケーブルテレビの常時接続というネット回線にウルティマオンラインのゲームアプリが対応していないという点が盲点でした。
当記事で書いた出来事の時期
ここまでが中学三年の半ば~高校1年の半ば程の1年、パソコンを購入してから半年ほどの出来事です。結局ホームページ作りとBM98とエミュレーター以外パソコンを活用できてなかったと思います。
思い出にふけながらタイピングしていたら思った以上に長くなってしまったので、この続きは分割して記事にしていこうと思います。このペースで書き続けますと、ブログ再開の経緯にに辿り着くまで幾つ記事を書く事になるのかわかりませんが、最後まで読んでくださった方は気長に待っていただけたら幸いです。
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